総務部予防保健課 予防保健課の活動2

同僚たちには日々感謝をされ、自然と金銭ではない何かを報酬として受け取る習慣が生まれ始めていた。報酬を得はじめてしまうと自身の行為に自信がなくなり、疑問を感じ始めていた頃だった。友人の指摘に大きなショックを受け、そして自身も医療資格を取得すべきではないかと考え始めるのにそう長い時間はかからなかった。

そして私は未来のビジョンを具体的に描くことを始めた。

鍼灸師と同時に指圧の資格が取れる専門学校が日本には数校ある。鍼や灸といったツボや氣の流れを用いた治療には興味があったが、指圧のような手技療法の方が企業勤めのサラリーマン達にはウケが良かったことは実感済みだ。ただ普通に治療院を開業しようにも資金調達は容易ではなく、経営を続けるにもセンスやアイデアはもちろん必要で、腕があっても流行っていない治療院の話を東京の友人から聞かされた。

じゃあなぜ今、私の周りには、私の技術に頼り、感謝してくれる人が多く存在するのか。そこに未来のビジョンのヒントがあった。一般企業内に東洋医学を基本にした福利厚生システムを構築することが、私の脳裏に朧げながら描かれ始めた。そのためには今のままではなく、正確な知識と技術、資格が必要だった。更にはその過程で自身の考えを受け入れてくれる企業を探すことが不可欠だった。

私は、その日から鍼灸専門学校入学のための受験勉強とともに、自らが準備でき得る社会のつながりを広げていった。

 

翌年、企業を退職した私は、鍼灸学校で3年間、治療院での研修に2年を費やした。並行して神農での薬膳ソムリエで接客を学ぶ中で、甲田社長との出会い、そして価値観を共有できる仲間と出会い、志を持ってツイン工業に就職した。ツイン工業での4年を経て、ついに10年越しのビジョンが形になり始めた。そう、予防保健課の活動を通じて、企業に勤める人たちの健康意識を支え、企業風土そのものの改革によって人々から病を遠ざけさせ、社会生活をより豊かにする手伝いの中で報酬を得るのだ。

これらの理想を叶えるためにこれまでに培った知識や経験、資格、人脈、体力、全てをバランスよく調和させ、唯一無二の福利厚生体系を構築すること。もちろんこれらの活動は社会全体に広めていく価値のあることで、その第一ステップとしてのツイン工業での活動が今後の活動を大きく展開させていく基礎になることは、関係者は十分に理解できていた。

そのためにはまずは自らの軸足をしっかりと固定し、方向を見定め、知識と経験を蓄えた上で、外に向かって発信していく必要がある。それらの準備が、今整ったわけである。